校長室から__

学校だより1月号 苦労や苦難を乗り越えて 相澤 顕



豆まき

 新年明けましておめでとうございます。と明るく言いたいところでしたが、元旦早々の大地震と津波による石川県能登半島を中心とする甚大な被害状況や笠原先生の訃報を考えると、とても悲しく複雑な心境です。3学期のこれからは、少しでも明るく元気が出ることが多くあればと願っています。

 さて、私はお正月の新聞の厚さを見ると、新聞配達していた頃を思い出します。私は家が貧乏だったため、大学の学費を立て替えてもらうために、朝日新聞の奨学生になりました。大学に通いながら、300件ほどの家に、朝・夕新聞を配達すること、夕方からは新規に新聞を取ってもらうために「拡張」という各家庭を回り勧誘することが主な仕事でした。



 朝3時30分に起きて、販売所に届く新聞をトラックから降ろし、すぐに広告やチラシをまとめたものを、指サックという滑らないゴムを指に着けて、新聞に挟む作業をします。チラシの多いお正月前後が、一番分厚く重い新聞となります。自転車の前後の籠にぎゅうぎゅうに新聞を詰め、自転車でよろよろしながら配達に行っていました。約2時間の配達を終え、朝食を済ますと電車で片道1時間かけて大学に通い、夕方5時頃から夕刊の配達に行っていました。
配達中には、朝真っ暗なために家の門に頭をぶつけて血だらけになったり、マンションやアパートの階段を踏み外して膝を何度もぶつけたり、突風にあおられ自転車で転倒し、怪我をしたり新聞が散乱したりと苦難も多くありました。
 精神的に一番辛かったのは、「拡張」という新聞の勧誘でした。夕刊配達後、夕食を食べ終えると、疲れて眠いのをこらえて先輩と一緒に自分の担当区域の家を1件1件、新規に新聞を取ってもらえるようにお願いして回るのです。全く知らない人の家を訪問し、時には嫌がられ怒鳴られても、何度もお願いすることは心が折れそうでした。ある日、家の人に怒鳴られながらも玄関先で先輩が土下座までして頼み込んでいる姿を見て、そこまでやる必要はないだろうと思い、大変悲しい気持ちになったこともありました。仲間や先輩の中には、余りの辛さに大学を辞めたり、休学したりする人もいました。



 今振り返ってみると、60歳まで教員として頑張れたのは、新聞配達の苦労や苦難を経験し、乗り越えてきたことも大きかったように思います。
 生きて成長していく過程には、色々な苦労や苦難があります。今回の大地震のように、突然災害に襲われるかもしれません。人間関係のトラブルや様々な挫折を経験することもあるでしょう。しかし、決してそのことに負けずに乗り越えるたくましい人に育ってほしいと強く願っています


2024年02月07日