それは、右腕に火傷の痕があることです。私は、小学校1年生の時、転んで熱いラーメンの丼に右腕を突っ込み、火傷しました。父親が不在で、母親が耕運機を運転して診療所まで連れて行ってくれました。しかし、お医者さんも不在でした。そのため看護師さんが治療してくれましたが、右腕に大きな火傷の痕が残ってしまいました。私は小学校高学年頃から、その火傷がとても気になり、半袖姿になるのが本当に嫌でした。特に、体育や水泳、陸上大会がとても嫌いでした。中学生になってからも、教室の座席は右端の列になると元気に反応し、左端の席になると静かにしていたので、仲間や担任の先生には変わった生徒だと、きっと思われていたことでしょう。部活動で柔道を選んだのも、柔道着が長袖であり、右腕にサポーターをすれば火傷が見えないと思ったからでした。火傷を見られたくないので、本当は体育ではなく、社会の先生を目指しましたが、大学受験で見事失敗しました。先生になってからも、火傷は隠し通し、結婚してからもずっと家族にも内緒にしていました。45歳を過ぎた頃、父母に火傷を気にしていたことを話すと、笑いながら、「そんなに悩んでいたとは知らなかった。」とあっさり言われました。妻にも話したら、「フーンそうだったの。」と軽く流されてしまいました。私がどんなにつらく悩んでいたのかなんて、全く理解できなかったのでしょう。
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