私は中学校で野球部に入ろうか、柔道部に入ろうか、とても迷っていました。最終的に柔道部を選んだのは、祖母に「顕(あきら)なら柔道だろう。」と言われたからでした。よく考えず入部した結果、あまりにも先輩が怖くて、練習も辛かったので、1年生の時は放課後の練習をさぼって逃げてばかりいました。 2年生になると、14歳以上から柔道初段の資格が取得できることを知り、少しやる気が出ました。5月に誕生日を迎え、6月の昇段審査に出たいと両親に伝えました。すると、父親から「昇段審査の費用は、毎日田んぼの除草を手伝ったら出してやる。」と言われました。その次の日から、登校前の毎朝5時から山に行き、田んぼに入り、苗と苗の間に除草機を転がす日々が日課となりました。ぬかるんだ泥の中を歩くのは、とても疲れるのですが、初段を取りたい一心で2週間くらい頑張りました。 昇段審査当日の朝、父親から一万円をもらい、柏崎市の昇段審査会場に行きました。初めての経験ですので、とても緊張していました。名前が呼ばれ、中学生2人と高校生3人のグループになりました。4人と戦い、3勝できれば初段になれます。最初の相手は高校生でしたが、朝からあんなに働いてやっともらったお金を無駄にしたくはないと強く思って戦ったので、4戦全勝で初段をもらうことができました。 その後、高校2年生で二段に、大学3年生で三段に、そして今は五段となっています。私が保健体育の教師になれたのは、この柔道の資格が大きかったのだと思います。また、教師になってからも、柔道指導者として生かすことができ、私の人生に大きな力を与えてくれました。
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