[小学校の卒業] 全校児童60名程度、卒業生9名の小さな小学校でした。卒業式では、校長先生が式辞の中で、泣きながら「荒城の月」を歌い、私たちとの別れを悲しんでくれた姿にとても感動しました。 [中学校の卒業] 卒業した日の夕食時、家族の前で私は正座して「これで義務教育が終わります。今まで学費等支えてもらい、本当にありがとうございました。親として高校に行かせる義務はありませんが、高校でも精一杯頑張りますので、もうしばらく負担を掛けますが、ご支援をよろしくお願いします。」と挨拶しました。この時は、さすがに親も驚いたようで、今も時々家族の思い出話によく出ます。 [高校の卒業] 卒業の日を迎え、東京へ旅立つ私に、祖父が茶封筒を手渡しました。祖父は一言「頑張れ」と言いました。本心は、役場か農協に入り、後継者として家にいてほしかったのでしょうが。茶封筒には、現金で20万円が入っていました。私はこんな大金を見たことも触ったこともなく、ただただ、涙が止まらなかったです。 [大学の卒業] 4年間の都会生活に未練もなく、私は「新潟に帰る、先生になれる、家族に会える、ふられた彼女に再度アタックするぞ」と熱い思いをもって、卒業式に臨んでいました。卒業祝賀会がホテルニューオオタニ(東京)の鳳凰の間(郷ひろみが結婚式を行った会場)で開催され、あまりの豪華さに度肝を抜かれました。
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