校長室から__

学校だより1月号 叶わずとも大きな夢や志を抱いて  校長 相澤 顕



1・2年生スキー授業(1)

新年明けましておめでとうございます。大きな事故やけがもなく、子どもたちが元気に新年を迎えたことを嬉しく思います。本年もどうぞよろしくお願いいたします。
さて、「一年の計は元旦にあり」と言われますが、新年初めは、気分も一新され、色々な計画や目標、夢を考えることも多いと思います。私は19歳の時に、密かにとんでもない夢を実現しようと、1回だけ挑戦したことがあります。本当に若気の至り、お恥ずかしい限りですが、紹介したいと思います。



1・2年生スキー授業(2)

高校3年の卒業間近のお正月。私は教師になろうと、大学受験に向けて一生懸命勉強していました。しかし、私の実力では簡単に教師にはなれないと感じていました。田舎育ちでしたので、都会への憧れも強く、華やかな芸能界にも大変興味がありました。そのため、大学進学で上京したら、歌手にも挑戦してみたいと本気で考えていました。今思うと、本当にあきれた馬鹿丸出しの夢です。
大学にかろうじて合格でき、3月初旬に上京し、新聞配達をしながらの苦学生としての生活が始まりました。どうしても、1度だけ挑戦してみたくて、日本テレビの「スター誕生」に応募しました。すると、2か月後に連絡が来て、日本テレビの別館で行われる「スター誕生」の予選会に出ることになりました。当時は山口百恵、中森明菜、ピンクレディーなど偉大な歌手たちが、この「スター誕生」から歌手としてデビューしていました。
私は大学の仲間に付き添ってもらい、日本テレビの別館の4階で受付をしました。なんと1200人が予選会に来ていました。そのうち男性は、たったの14人でした。200人ずつホールに入り、順番に歌を1人4小節くらい歌います。私の番が来て、ピアノ伴奏が始まり、私は近藤真彦の「ギンギラギンにさりげなく」という曲を歌いました。すると、たった2小節でブザーが鳴ってしまいました。前の日にパーマをかけ、当日はアーミーシャツを着て、少しはかっこつけていきましたが、あっという間に終わってしまいました。最終審査の10人に選ばれたら、「スター誕生」の本選までに、基本的なレッスンを受けてテレビに出られたのですが、私はあっけなく不合格となり、夢ははかなく破れました。
合格は無理だと分かっていましたが、思い切って挑戦した熱い思いと挑戦は、私の人生において、悔いもなく、今ではとても貴重な思い出となっています。



1・2年生スキー授業(3)

最近、ユーチューブで当時の「スター誕生」の歴史等を見る機会がありました。なんと、「スター誕生」からスターになれた人の確率は、2万分の1だったそうです。そして、あの偉大な歌姫、中森明菜さんは「スター誕生」の予選会に4回も落ち、本選でも3回目でようやく合格したのだそうです。私はあっさりと諦めてしまいましたが、人生の夢や希望、志を貫くには並々ならぬ強い意志と努力が必要だったのだと思いました。東中生には、「たとえ叶わずとも大きな夢や志を抱いた人生を歩んでほしい」と年頭に当たり、しみじみと思いました。

校長 相澤 顕


2023年01月31日 渡邉 洋臣