さて、話は変わりますが、先日、私は実家の稲刈りの手伝いに行きました。教職に就いて、家の手伝いで学校を休むのは初めてでした。 父83歳、母82歳と高齢のため、田植えの時からかなり無理をしていたようです。(私の仕事を考え、私に手伝ってほしいと一言も言いません。) 気力・体力的に今年が最後になるだろうと妹から聞いていました。実際、手伝いに行ってみると、ぬかるんだ田んぼでの稲刈り、重い稲運び、トラックへのもみ運びと、あまりにも過酷で、私でも倒れそうなくらいへとへとになりました。これまで何十年も生計を立ててきた稲作を、今年でやめると決めた両親。年老いた両親が働く姿を見て胸がいっぱいになり、よく今まで稲作を続けてきたものだと切ない気持ちになりました。と同時に、子どもの頃のことを思い出しました。 私の実家は、現在の十日町市松之山の貧しい農家でした。肉や刺身やお寿司は、高級品でめったに食べることはできませんでした。ウナギ自体を知らず、初めてかば焼きを食べた時は、あまりの美味しさに絶叫するほどでした。小学校低学年の頃から、秋の稲刈りの時期になると、2週間近く毎日決まってやらされていた仕事がありました。それは、稲刈りが終わった後、田んぼを歩き回り、わずかに落ちている稲穂を拾い集める仕事でした。夕方から田んぼに行き、真っ暗になるまで歩き回って、やっと片手で掴めるほど(茶碗に一杯程度)の量しか拾えません。がんばってもわずかな量しか拾えないのだからと、のらりくらり拾っていると、父親から、「1年世話して、やっとできた米だ。一粒たりとも無駄にするな。拾え!」と何度も怒鳴られました。ですから、ご飯を食べる時は、父親の叱る様子と拾っていた時の辛い思い出が蘇ります。 今の生徒には、まったく想像できないと思いますが、この辛い落ち穂拾いの経験を含む稲作は、私の人生にとって、大変意義深いかけがえのないもとなりました。今、振り返ってみると、あの厳しい環境、あの辛い経験があったからこそ、今の私があるのだと思います。
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