校長室から__

学校だより 10月号  「一粒の米」からの教え  校長 相澤 顕



音楽祭 開会式 校長あいさつ

 私の今年度一番の願いであった、3年生の関西への修学旅行が無事終わりました。道路の渋滞や小雨など思うようには行かないことも多々ありましたが、3年生の活気とあふれる笑顔を3日間見ることができ、最高に幸せでした。ご理解、ご協力いただきました保護者の皆様に深く感謝申し上げます。



さて、話は変わりますが、先日、私は実家の稲刈りの手伝いに行きました。教職に就いて、家の手伝いで学校を休むのは初めてでした。
父83歳、母82歳と高齢のため、田植えの時からかなり無理をしていたようです。(私の仕事を考え、私に手伝ってほしいと一言も言いません。) 
気力・体力的に今年が最後になるだろうと妹から聞いていました。実際、手伝いに行ってみると、ぬかるんだ田んぼでの稲刈り、重い稲運び、トラックへのもみ運びと、あまりにも過酷で、私でも倒れそうなくらいへとへとになりました。これまで何十年も生計を立ててきた稲作を、今年でやめると決めた両親。年老いた両親が働く姿を見て胸がいっぱいになり、よく今まで稲作を続けてきたものだと切ない気持ちになりました。と同時に、子どもの頃のことを思い出しました。
私の実家は、現在の十日町市松之山の貧しい農家でした。肉や刺身やお寿司は、高級品でめったに食べることはできませんでした。ウナギ自体を知らず、初めてかば焼きを食べた時は、あまりの美味しさに絶叫するほどでした。小学校低学年の頃から、秋の稲刈りの時期になると、2週間近く毎日決まってやらされていた仕事がありました。それは、稲刈りが終わった後、田んぼを歩き回り、わずかに落ちている稲穂を拾い集める仕事でした。夕方から田んぼに行き、真っ暗になるまで歩き回って、やっと片手で掴めるほど(茶碗に一杯程度)の量しか拾えません。がんばってもわずかな量しか拾えないのだからと、のらりくらり拾っていると、父親から、「1年世話して、やっとできた米だ。一粒たりとも無駄にするな。拾え!」と何度も怒鳴られました。ですから、ご飯を食べる時は、父親の叱る様子と拾っていた時の辛い思い出が蘇ります。
今の生徒には、まったく想像できないと思いますが、この辛い落ち穂拾いの経験を含む稲作は、私の人生にとって、大変意義深いかけがえのないもとなりました。今、振り返ってみると、あの厳しい環境、あの辛い経験があったからこそ、今の私があるのだと思います。



目の前の生徒たちは、成長過程の大事な時期を2年半以上もコロナ禍で過ごしています。この2年半の間、様々な制約、大会や行事の中止等、大変な経験や思いをしてきました。「すべての出来事に意味がある。無駄な経験は一つもない」とよく言われます。生徒たちが大人になり、中学生時代を振り返った時、「あの時の経験や思いが、今の自分にとってかけがえのないものになっている」と思えるよう、未来に向かってたくましく生きていってほしいと願います。


2022年11月04日